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「沈黙-サイレンス-」リーアム・ニーソン インタビュー : キリスト教迫害の時代に人生をほんろうされた神父が問いかける意味とは?

「沈黙-サイレンス-」は、あらゆる人が見るべき映画だ。
この脚本には、今の世界で実際に起こっていることが含まれている。

リーアム・ニーソン

小説「沈黙」との出会いから28年、マーティン・スコセッシが映画化を切望し続けた映画「沈黙-サイレンス-」がついに完成、1月21日(土)に待望の日本公開を迎える。

遠藤周作の原作には、歴史上に実在するふたりの人物が登場する。ひとりは、物語の始発点となるきわめて重要な人物、フェレイラ神父だ。日本に於けるイエズス会のリーダーとして、ローマ教会からも絶大な信頼を得ていた存在だ。そしてもうひとりは、フェレイラを棄教へと追い込み、師を追って長崎に潜入した宣教師ロドリゴをも追いつめる長崎奉行イッセー尾形が演じた井上筑後守である。

今回紹介するのは、物語のすべての始まりとなる存在、フェレイラ神父。彼をより理解するために、少し長くなるが、マーティン・スコセッシ監督が語った本作の時代背景の解説を紹介しよう。

「映画の舞台は1643年だ。作中での主な出来事は、江戸の初期、1640年と1641年に起きる。初めて宣教師が日本を訪れたのは、それより100年ほど前、16世紀半ばだ。日本を訪れた最初のキリスト教の宣教師は、イエズス会創設者のひとりフランシスコ・ザビエルだ。当時は政治的に不安定な戦国時代のことだ。布教活動は、大規模な西洋貿易の開始と直接結びついていた。フラーハウス シーズン2 だからこそ、さまざまな修道会や国々から来た宣教師たちの間に争いがあった」

「1600年までには、キリスト教に改宗したあらゆる階級の日本人は、推定で20万から30万人いたそうだ。1587年にはキリスト教を追放する一連の禁教令の発端となる伴天連追放令が書かれ、その次の10年ぐらいの間、布教活動は継続されるが、江戸幕府が誕生すると、幕府による支配体制が強まり、ポルトガル人や他のヨーロッパの宣教師は、武家政権への挑戦者と見なされるようになった」

「1614年には、全国に発布された禁教令のためキリスト教宣教師は身を潜めざるを得なかった。そのような宣教師の一人がフェレイラで、彼は日本のイエズス会の責任者であり、『沈黙-サイレンス-』のストーリーで非常に重要な歴史上の人物の一人だ。ほとんどの宣教師が無理やり日本から追放されたが、多くが退去を拒否し、ひそかに信心深いキリスト教のコミュニティに仕えた。そうして、迫害の時代が始まった。キリスト教徒は隠れ家から引っ張り出され、無理やり棄教――信仰を捨てさせられるか、あるいは、さまざまな形の拷問にかけられ殺された」

「この時代に殺された正確なキリスト教徒の数は分からないが、何千人にもなったかもしれない。シャーロック シーズン4 1633年、イエズス会は、フェレイラが棄教し、仏教徒に転向、幕府に協力しているという衝撃の知らせを受け取った。遠藤周作の小説はこれらの歴史的な事件に基づいている。エクソシスト DVD フェレイラはリーアム・ニーソンが演じている人物だ」

リーアム・ニーソンスティーヴン・スピルバーグ作品「シンドラーのリスト」でアカデミー賞®《主演男優賞》に輝いた名優だ。15年前のスコセッシ監督作「ギャング・オブ・ニューヨーク」でヴァロン神父を演じており、スコセッシに再び協力できることを喜んだという。

「マーティとの仕事は楽しいし、創造的な映画製作に関する学びの場だ」とニーソン。ザラストシップ シーズン3 「物語の中で私にとって最もエキサイティングな要素の一つは、その関連性だ。小説とか脚本の中で詳細にわたって描かれていることの中には、今の世界で実際に起こっていることが含まれている。『沈黙-サイレンス-』はあらゆる人が見るべき映画になる」と断言する。

ニーソンはかつて宣教師を演じた経験を持つ。「私は80年代の映画、『ミッション』のリサーチをして以来、30年間ずっとイエズス会に関心を抱いている。あの映画でテクニカル・アドバイザーをつとめた、ダニエル・ベリガン神父とはすばらしい友人になった。特に、聖イグナチオと聖フランシスに関するイエズス会の歴史に関して、彼は私の人生に大きな影響を及ぼした」。

また、寡黙ながらも観客の自由な解釈を与える脚本について、「読んですぐに夢中になった。簡潔に書かれている。ジェイ・コックスとマーティは、一つの文ですむところは決してそれ以上書かない。その一文には複雑な本質や言外の意味も含まれている」からだ。

フェレイラ神父という人物も彼を魅了した。「教会に身を捧げ、イエズス会の文化に染まっていたこの歴史上の人物、学問のある男が、どうして宗教を捨て、教会にとっての困惑となったのだろうと考え」続けた。

この作品が問いかける様々な要素について、「精神的な探求という奥深い面もある。神への信仰とか、神は存在するのか。神がいるとしたら、話をしてくれるのか。自分の判断を役者に伝えるか。この映画は“サイレンス”というタイトルで、ストーリーの信仰は、アンドリューとアダムが演じる2人の宣教師の判断を見せる。彼らは疑いや恐れの気持ちを味わい、飢餓という欠乏や厳寒の状態におかれ、常に神が存在するかを問いかける。観客は自分が望む限り、深く掘り下げてこういうものを経験できる。彼らの問いかけは、人々が共有している疑問だ。宗教的な信念を信じるかどうかに関係なく、自分はなぜここにいるのかと。神とは何なのか」と、現代に生きる我々に、様々な問いかけを放つ特別な映画なのだ。
史実では、“踏み絵”を踏んで棄教したフェレイラは、沢野忠庵という名と妻を与えられ、日本人としてその生涯を送ったと伝えられている。

イエズス会にすべてを捧げたフェレイラに一体何があったのか。彼を師と仰ぐロドリゴとガルペは、17世紀の長崎でどんな光景を目にすることになるのか。

「沈黙-サイレンス-」は、いよいよ1月21日(土)より全国公開となる。